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それは1983年12月24日(金)のことでした。
プリント・メディアを扱う部署で働いていた僕は、
正月進行に追われ、イヴだと言うのに夜中の12時を職場で迎えていました。
気晴らしに雑誌を扱うセクションに行くと、沢山の広告掲載誌のなかに
発売前の「カーグラフィック」を発見。
パラパラめくっていくと、環八沿いの中古車販売店の広告の中に、
ハードトップつきの程度の良さそうなMGミジェットが掲載されていました。
この本が本屋さんで発売されるのは4~5日先です。
これはクリスマスプレゼントに違いないと思い、翌日の土曜日
さっそくミジェットを見に行きました。

ほぼ即決に近い形で、僕はミジェットを自分のモノにすることをその場で決めてしまいました。
金策や、屋根つき駐車場の手配や、アシ車が無くなってしまうことや・・・・
諸問題はそのうちナンとかなるさ!
中古の珍しい外車を買うときに、”冷静な判断”などしてられません。

1275ccエンジンを持つ、1974年式MGミジェットMk-4は
こうして僕の手元にやってきました。
シャーシーNo.G-AN5UE145183、くすんだブルウのボディにビスケットの内装を持つ、
この左ハンドルのクルマは、全く偶然にも、
企画室ネコ刊「THE BRITISH LIGHT WEIGHT SPORTS 1980」に掲載されているクルマそのものであり、
おそらく僕の前のオーナーは、「スクランブルカーマガジン」の安東元編集長に違いないのです。

箱根のワインディングロードで、碓氷峠の旧道で、
ハンドリングがクイックなミジェットは、ドライブする楽しさを十二分に与えてくれました。
45口径の強烈すぎるウエーバーキャブレターは、あまりの扱いづらさ(特に軽井沢などの高地)に
40口径のものに換装しましたが、それでもその”爆音”の凄さに
早朝のドライブに出かける時は、近くの下り坂まで押して行き、そこでエンジンをかけねば
ならないほどでした。

サーキット走行も楽しむことが出来ました。
当時 国内A級ライセンスをとっていたので、TACSやSCCJの走行会やイベントに参加したりしていました。筑波サーキットは”FUN TO DRIVE”でしたが、
冨士スピードウェイのストレートは・・・・・・長すぎました。

なによりも、この小さなスポーツカーを持つことによって、
僕の興味はクルマそのものだけに留まらず、英国スポーツカー/レーシングカーや
古いレースおよびクルマに関する洋書・絶版本、1950~60年代のレースポスター・パンフレット、
モデルカー(写真のミジェットは、1/43 アビンドンクラシック社製のキットを自分のクルマに忠実に仕上げたモノです)、その他オートモビリア・・・・
広く、際限なく、どんどん拡がっていきました。
しかし知れば知るほど、ライトウエイトスポーツカーとは違う世界・・・・
ジャガー、アストンマーチン、AC・・・・大排気量本格スポーツカーの世界、
子供の頃にプラモデルやスロットレーシングカーで夢見た世界が見えてきてしまいました。

1989年の早春、深夜残業の帰りに三宿から世田谷公園に向かって走るタクシーの窓から
何気なく外を眺めていた僕の目に、ショールームの中でライトアップされた
赤いジャガーE-TYPEシリーズ汽ーペの姿が飛び込んできました。

それからしばらく後・・・・僕は”同じ轍を踏む”ことを決めてしまいました。
ミジェットを100枚の紙幣と引き換えに、目黒通り沿いの英国車専門店のパーキングに
置き去りにした時、ふと振り返って見たミジェットの後姿はいまでも忘れることが出来ません。

数ヶ月たってジャガーE-TYPEで代官山のヒルサイドテラスに行った時、
手放したブルウのミジェットに奇跡的に再会することができました。
オーナーとも少し話をすることができたのですが、
僕ではない、別のオーナーと走り去るミジェットを見て、・・・・・・・でした。

これで"The Car Which I Loved"はオシマイです。
はもうないでしょう。
セリカもミジェットも、本当に手元に残して置きたかったのですが、
あれから二十年あまり・・・・・2台のクルマたちの”幸運”を祈るばかりです。