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つげ義春の作品に初めて触れたのは、
小学生の時に読んだ少年マガジンに掲載されていた
「李さん一家」でした。
そのシュールさと病的な絵柄で、つげ義春という漫画家は10代はじめのぼくにとって
忘れられない存在となりました・・・・

時は流れて高校生2年、
学校帰りの大船駅で手にした一枚の国鉄のパンフレット、
そこには つげ義春描く、子守りをする女の子と会津 木賊温泉の衝撃的なイラストが・・・・
「木賊(とくさ)」という読み方がやっと分かり、そこが南会津の辺境であることを調べた僕にとって、
その時から木賊温泉は”必ずいかねばならぬ場所”となってしまったのです。

昭和52年11月、
大学生になっていた僕は、南会津周遊券を握りしめ、
”目的の地”へ向かいました。
夜行で会津若松まで行き、そのままホームで仮眠をとった後
会津線のディーゼルカーで終点の会津滝の原を目指します。

駅からの交通手段は数少ないバスだけなのですが、途中からは皆無です。
紅葉の山道をひたすら歩き、クルマが通りかかればヒッチハイクで次の集落まで乗せてもらったり・・・・
そんなことをしながら湯の花温泉、木賊温泉、そして周辺の集落を訪れました。
木賊温泉は・・・・予想に反して茅葺屋根の家はほとんど残っておらず、
つげ義春のイラストとはだいぶ変わってしまっていました。
かえって湯の花温泉や川衣集落の方に素朴な茅葺の建物が多かったような気がします。

でも不思議とがっかりすることはありませんでした。
建物が少々変わっても
つけ義春が表現する、昭和40年代の日本の”鄙びた”世界が
ここ、南会津の山里には確かに在った・・・・
それを肌で感じることが出来たからかもしれません。