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「カーマガジン」1965年9月号・・・・
この日本のモータースポーツ黎明期にベースボールマガジン社より発行されレーシングメイトが編集に加わり、当時最も洗練されていたとされるクルマ雑誌に掲載されていた船橋サーキットの広告・・・・
これを見て心躍らせない50代以上のクルマ好きはおそらくいないんじゃないかと思います。



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船橋サーキットは1965年から1967年の間に存在した東京から至近距離のサーキット・・・・
元々は船橋市が埋立地で天然ガスの試掘をしたところ同時に温泉が出てきたために温泉レジャー施設である船橋ヘルスセンターが出来たことに端を発します。
♪長生きしたけりゃちょっとおいで、チョチョンのパッ!♪なんてCMもテレビを賑わしてましたよネ。
ここではそのオープン後にビーチ脇に滑走路をつくり、軽飛行機を飛ばして遊覧飛行などを行っていたのですが、墜落事故が起きたためにそのサービスは中止・・・・その跡地を利用してできたのが船橋サーキットだったわけです。面白い事にその成り立ちはグッドウッドやセブリングなどの海外のサーキットと同じだったんですねェ~

そのこけら落し・・・・1965年7月18日に開催されたのがALL JAPAN CAR CLUB CHAMPIONSHIP RACE・・・略して「船橋CCC」と呼ばれるレースなのでした。

先日の記事でもUPさせていただいたのですが、僕が久々に造ろうとしているE-TYPEのスロットレーシングカーは、コグレという1960年代の幻のプラモメーカーのキットを使用することもあり、日本のモータースポーツが最も熱気を帯びていた”あの時代”の懐かしさを代表する この短命に終わった船橋サーキットのオープニングレースに安田銀治のエントリーで走ったゼッケン29番のE-TYPEを再現することにしました。

幸いにも僕のガレージには前述の「カーマガジン」や「カーグラフィック」、そして「日本の名レース100選003」などの資料が揃っていたので まずはその詳細をチェック・・・・

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安田銀治は、当時はE-TYPE遣いとして有名で、前年に鈴鹿で行われた第2回日本グランプリでもクラス優勝をしているのですが、東京オリンピックに射撃の選手として出場したり、1969年にレース界から姿を消したと思っていたらしばらくしていきなりラスベガスのホテルを買収したり、ちょっとミステリアスな人生を送っていた謎の人物。
ネットで調べてみてもなかなか彼の詳細はつかめないのですが、そんなところもなんか魅力的・・・・

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さて、その安田のE-TYPEが出場したのは、ロータス・エランを駆る浮谷東次郎がぶっちぎりで優勝したGT-Ⅱクラスでした。浮谷のエランと北野、長谷見のフェアレディの3台がフロントを占め、酒井正のコルベットとともに予選4番手として第2列からスタートしたE-TYPEはその排気量にものをいわせてスタート直後はエランとの距離を縮めたかに見えたのですが・・・

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2周目のコーナーで雨の中パワーを持て余したせいでスピン!
後続車が次々と接触するなかレース終了までコース上に置き去りとなってしまったのでした。
なんともはや・・・・って感じですよねェ~

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嬉しいことにこの船橋CCCレースの模様はYouTubeでカラー映像を見ることも出来るんですョ。
それも2種類も!ちなみに最初の動画は2:29-5:50がその様子です。
昔懐かしい名車がフルスロットルでサーキットを駆け抜ける様子やクラッシュシーン、当時のサーキットファッションに身を包んだレースを取り巻く人々・・・・貴重な映像です!!





この年中止された第3回日本グランプリに代わるレースとして華々しく開催された船橋CCCレース・・・・
約1万4000人の観客がこの船橋サーキットを埋めたのですが、しかしその後は集客に苦しみ 赤字が続いたためにサーキットは2年後に閉鎖されてオートレース場となり、結局はそれすらもなくなってこの場所は今では巨大ショッピングセンター、「ららぽーと」に姿を変えることになりました・・・

さてこの幻のサーキットを”謎の人物”の手によって走ったジャガーE-TYPE、その仕様はこんな感じでしょうか?
シルバーグレイに赤いストライプ・・・そして赤いハードトップ・・・

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頼んでいたシャーシーも仕上がってきたし、いよいよ製作開始ですネ。
でも・・・すぐにスピンして他のスロットカーに迷惑かけないように・・・気をつけて造らなきゃいけないよなァ。。。。