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さて、今回稲毛を訪れた最大の目的は、この瀟洒な別荘建築を訪れることだったのかもしれません。
かつては海が目の前に望めたであろう5連のアーチが続くベランダを持つ、実に素敵なこの家を大正7年に建てたのは、神谷伝兵衛。
浅草の電気ブランで有名な「神谷バー」にその名を残す、日本のワイン王と呼ばれた人物です。

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その特徴的なベランダには保養地らしく明るい色のタイルが貼られて、
今にも波の音が聴こえてきそう・・・
弧を描く影が、ステキです。

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この別荘、今は『千葉市民ギャラリー・いなげ』として一般公開されているのですが、さっそく中に入ってみると、そこには余りにも優雅な階段室と応接間が。

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1856年(安政3年)に三河で生まれた神谷伝兵衛は、わずか8才の時に酒造家になることを夢見て見習いや行商をしながら経験を積み、17才の時に横浜のフレッレ商会に雇われて洋酒製造法を学びました。
その後ワイン造りに励み、「蜂印香鼠葡萄酒」(今のハチブドー酒)がヒット。
明治13年には浅草に「神谷バー」の前身である「みかはや」を開業し、電気ブランを流行らせました。そして本格的なワイン造りを目指して茨城県牛久に葡萄畑を開墾し、明治36年にはシャトー神谷をオープン。

この海沿いの別荘は、ワイン造りの実業家として上り詰めた神谷伝兵衛が、ひとときの寛ぎのために建てたものだったのでしょうか・・・

しかし彼の葡萄を愛する気持ちはこの別荘にも色濃く現れていて、例えば下の写真のようにエントランスのシャンデリアを取り付けた部分の天井飾りに葡萄の鏝絵が施されていたりして、そんな葡萄にまつわるディティールを発見することもこの館を探索する楽しみだったりします。

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エレガントな階段を登って二階部分へ・・・
気のせいかこのシャンデリアも、なんだか葡萄の房のように思えてきますよネ。

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さあ、二階部分は、様々な木材を使って贅沢に仕上げられた和室が占めているのですが、サンルームっぽい部分や海に面した窓など、やや洋風なエッセンスも垣間見ることが出来ます。

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欄間には当然のように葡萄・・・

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この本格的な書院造の座敷の床柱は、なんと葡萄の巨木!
煤竹で組まれた格天井は葡萄棚をイメージしたんだとか・・・

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そして畳に横になって、
嗚呼・・・いい気分だ・・・
これで潮騒の音でも聴こえてきたら、もう言うことないよなァ~

でも2017年の現実としては、
国道14号線を走るクルマの騒音と、窓からは高層マンションの海・・・

奥の部屋には、もちろん電気ブランも展示してありましたョ・・・

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再び外に出て、ツツジに囲まれた美しい神谷別荘を眺めていたら、

ふと、ある場所へ行きたくなってきてしまいました・・・

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それはもちろん、
浅草「神谷バー」・・・
神谷伝兵衛が明治13年に出身の地である三河に因んだ名前で開いたこの店は、
明治15年に速成ブランデーである電気ブランを販売し、
明治45年には内装を洋風にして「神谷バー」と改称。
現在の建物は大正10年に建てられたものなんだそうです。

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ゴールデンウィークで賑わう浅草・・・

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混み合う店内で、まずは電気ブランソーダ、
そして電気ブラン・・・
これ、やっぱブランデーだから効くんですよねェ~

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う~ん・・・
なんだかクラクラしてきたョ・・・

これで稲毛に関しての記事はオシマイです。

かつて日本一の海浜リゾートを夢見た地。
その地でスタートした家族の暮らしを再び取り戻そうと夢見た愛新覚羅浩・・・
そして日本のワイン王になるという壮大な夢を実現させた男の安らぎの場であった稲毛の素敵な別荘建築に酔い、その男が浅草に残したバーで、今もなお人々に愛される酒に酔う・・・
稲毛へのショートトリップは、
そんな古の人々の夢やその痕跡に思いを馳せて
酔いしれる旅だったのかもしれませんねェ。。。。