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さて、45年ぶりに乗った明知線の終点である明智は、元々は東美濃の城下町として開けた小さな町です。かつては恵那郡明智町でしたが、現在は恵那市に編入。
C12を追いかけていた頃には、駅で降りて町を散策するなどということもなかったので、楽しみにしながら駅からの道を進むと・・・

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駅から程なくして、大正時代に年貢米を納めた蔵や呉服問屋の蔵が建ち並ぶ素敵な路地・・・
ここは『大正路地』と名付けられていて、大正時代にこの明智が製糸を地場産業として最も栄え、その面影を残していることから「日本大正村」として町興しをしている象徴的な場所となっています。

夕暮れ時の小路は・・・なかなかのタイムスリップ感!

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ところで、この明智は
織田信長を本能寺で討ち、逆賊とされていた悲運の戦国武将である明智光秀の生誕の地とされています。
美濃源氏の流れをくむ土岐氏の一族であった明智家に生を受けた光秀については、その前半生はほとんど不明らしいのですが、生まれた場所についても諸説あって、この恵那市明智にあった明智城とする説と、同じ岐阜県なのですが可児市にも存在した明智城とする説があるようで・・・
こりゃあ一体どっち?ともいいたくなりますが、

恵那市観光協会:http://www.kankou-ena.jp/akechi

両者のHPを見ると、歴史的ファクトを積み上げてきている可児市と、縁の場所やイベントなどの情緒的側面を強調している恵那市との戦い・・・といった印象。
どうもこの戦、恵那側の形勢は悪そうですねェ~

だから”大正時代”の方にシフトしているのかなァ~
でも光秀生誕の地であってもそうじゃなくても、明智一族の城下町であったことや、その名から受ける悲運のイメージが失われてしまうわけではないんですけどネ。



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ハナシが長くなりましたが、『大正路地』を抜けると、明智の街のメインストリート。そこには昔懐かしい看板建築の商店や明治時代に造られた旧郵便局、格子の嵌った町家などが並びます・・・

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旧「笹乃家割烹旅館」・・・BAR?だけはまだ営業中のようですが・・・

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暮れかけた旧街道に沿って緩くカーブする街並み・・・
明智はまた、南北街道と中馬街道が交叉する宿場町でもあったのです。
うどん屋の暖簾が、実に郷愁を誘いますよネ・・・

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ちなみに夜にも少し出歩いてみたのですが、あたりは真っ暗・・・
スマホで撮影するだけの明かりさえなかったんですが、この先ほど見た廃業した旅館の一階に入口のあったBARだけが妖しい光を放っていましたョ・・・
(今思うとココ、突入しとけば良かったよなァ~)

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で、翌日宿で朝飯を食べてからもう一度明智の街を散歩してみることにしました。

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すると印象的な元旅館の裏側には、なんと木製の空中渡り廊下が!
僕が泊まった宿の老女将のハナシによると、かつては製糸業や窯業で栄えた明智の街には花柳界が存在し、宴席を掛け持ちする芸者さん達がひっきりなしにこの廊下を行き来していたんだとか・・・

そう言った意味では、
”かつての栄華の夢のあと・・・”
とでも表現できそうな、歴史的意味を持つ建築物なんですねェ・・・

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そのかつての栄華を偲ぶことの出来る近代建築も、この明智の街にはいくつか残されていました。

昭和2年竣工の保母歯科医院・・・

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大正時代中期に造られた旧学校施設・・・

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そして、明治39年竣工の旧明智町役場・・・

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その美しい洋風建築の入り口に奢られたステンドグラスには、明智一族の家紋である桔梗の花があしらわれていましたョ・・・

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悲運の武将、光秀の縁の街、明智・・・
僕にとっては、そこはどちらかというと、明治・大正・昭和の近代史のなかで
かつての賑わいを感じさせる素敵な欠片が残る街だったんだけど、
やはりこの街の人々にとっては、戦国武将 明智光秀生誕の地としての御印や絆はとても大事な宝物のようでした。これは、決して譲れないモノなんだろうなァ~

朝から気温30度は越していそうな猛暑の中
誰もいない町外れの神社には
明智一族の色である水色に光秀の名を染め抜いた旗が、
ただユラユラとたなびいていたのでした。。。