1972年に開催された第一回イモラ200マイルレースは、その典型かもしれません。
市販車ベースのレーシングマシンが参加するこのレース、
デイトナ200マイルレースに影響を受けて開催されることになったイモラ200マイルには、大型バイクが流行りつつあった当時、その宣伝効果を見込んで有力メーカーがこぞってエントリー。特に絶対的な本命、アゴスティーニを擁するMVアグスタの勝利は堅いと思われていましたが・・・
その頃はまだ大排気量クラスではメジャーなメーカーではなかったDUCATIは、地元のレースという千載一遇のチャンスに7台の750ccマシンを用意するも有力なライダーと契約することがなかなかできず・・・
結局はゼッケン9番のブルーノ・スパッジャーリ、16番のポール・スマート、39番のエルマンノ・ジュリアーノに各2台のマシンを与え、45番のアラン・ダンスコンプには1台のマシンを供給して必勝を期すのですが・・・
その結果は大方の予想を裏切り、絶対王者アゴスティーニのMVアグスタを破って16番の英国人ライダー、ポール・スマートと9番のスパッジャーリがワン・ツーフィニッシュを飾りました。
(ちなみに後者は最終ラップでガス欠に見舞われたそうな・・・)
(ちなみに後者は最終ラップでガス欠に見舞われたそうな・・・)
まさに、DUCATIの運命を変えた勝利・・・
ポール・スマートは、この一戦でレジェンドになったのです。
その後、DUCATIはイタリアを代表する二輪メーカーに登り詰めたのですが、この勝利は 21世紀になっても忘れられることなく、彼の名を冠したスポーツバイクが製品化されるほどなのでした・・・
ポール・スマートは、この一戦でレジェンドになったのです。
その後、DUCATIはイタリアを代表する二輪メーカーに登り詰めたのですが、この勝利は 21世紀になっても忘れられることなく、彼の名を冠したスポーツバイクが製品化されるほどなのでした・・・
そんな、記念すべき1972年イモラ200マイルレースの覇者、ポール・スマートのウイニングマシンが遂に僕のガレージにやってきましたョ!
ゼッケン16番・・・
青いフレーム、そしてシェイプされたフロントカウル等のボディはシルヴァーにペイントされた美しくも戦闘的なマシンが・・・
さて、ポール・スマートの750イモラがDUCATI大排気量マシンのルーツとするならば、900SSはその最終進化型とも言えそうです。
所謂レーサーレプリカなのですが、やはりシルヴァーとブルウを基調としたスタイルのエレガントなこと!
もちろん二台を並べてみると・・・
もうタメ息モノの美しさです。
この900SSは1982年まで生産されているため、ここにはDUCATIが世界的なメーカーに飛躍した10年の歴史が横たわっている・・・と言っても過言ではないようにも思えてしまいますネ。
1/12 ミニチャンプス製のスケールモデル二台によるDUCATI栄光の歴史・・・
きっと、その出来の素晴らしさ故に様々な逸話やエピソードが次々と湧き出てくるんだろうなァ~
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