中からは、黒いビロードで覆われた宝石箱?
それを開けてみると、なんとフェラーリP4が出てきました!
ゼッケン23番のこのマシンは、
1967年 デイトナ24時間レースのウイニングマシン・・・
1962年に3時間のレースとして始まったフロリダ州デイトナ・インターナショナル・スピードウエイでのレースは、1966年から24時間の耐久レースとなったのですが、その二回目となる1967年のレースには錚々たるレーシングカーがエントリーしていました。
地元アメリカからは3台のフォードGT40、6台のGT40マーク2やシャパラル、ポルシェからはカレラ6をはじめ7台、そしてフェラーリは5台のP3/4を中心に10台ものマシンを送り込んでアウェイの地での必勝を期し、フォードvsフェラーリvsポルシェの構図が出来上がっていたのです。
実は1963年・・・当時、特にスポーツカーレースの世界では敵なしの状態であったイタリアの至宝フェラーリを、フォードは企業イメージアップのために買収しようとしたのですが交渉は決裂、失敗に終わることに。そのリベンジとしてフェラーリ撃破のためにフォードがローラと組み巨費を投じて開発したのがフォードGT40。そのGT40は1960~1965年までルマンを制していたフェラーリを1966年、遂にその大排気量に物を言わせて1~3位独占というカタチで完膚無きまでに破ったのでした。
その雪辱を期すフェラーリは、1967年シーズンのスポーツカーマニュファクチャラーズ選手権のかかる最初のレースであるデイトナ24時間に万全の体制で臨み・・・
前年12月のテストデーを経て感触を掴み、
いよいよ1967年2月4日午後3時9分、デイトナ24時間レースがスタート!
ローリングスタートの最前列にはフォードGTとシャパラル、それに3台のフェラーリが続きます・・・
さて、このゼッケン23番のP4は、ロレンツィオ・バンディー二とクリス・エイモンのドライブしたウイニングマシンを1/43で再現したジョエフの随分昔の製品。
なのでプロポーションなどは現代の水準からするとだいぶ劣る印象です。
しかし、ダイキャストのボディにエッチング他の金属パーツも多用して手造りされたその佇まいは、優美なP4のイメージだけではなく、過酷なレースを生き抜いた無骨さのようなモノをも感じさせてくれるような気が・・・
しかも、ドアが!
そしてエンジンフードが!!
スタイル的にはやや破綻が見られるものの、
ダイキャスト製の1/43でこのディティールはホント、頑張ってるよなァ~
ところでデイトナ24時間レースの方にハナシを戻すと・・・
美しさだけではなく、空力的なアドバンテージを得ていたP4は順調にレースを運び・・・
レース終了目前には1~3位を独占!
ここでフェラーリ陣営は、傾斜のついたデイトナのコースを巧みに利用して3台を並べてゴールするように各マシンのドライバーに命じました。
その写真は全世界に”デイトナ・フィニッシュ”として配信され、フェラーリは前年のルマンでフォードに表彰台を独占された屈辱をフォードの地元で完璧なカタチで晴らすことが出来たのです。
1位:フェラーリP4スパイダー(バンディー二/エイモン)
2位:フェラーリP4(パークス/スカルフィオッティ)
3位:フェラーリ412P(ロドリゲス/ギシェ)※NART
ちなみに1968年にデビューしたフェラーリ365GTB/4は、この偉業をもとに『デイトナ』の愛称で呼ばれることに・・・
その伝説の勝利者となったうちのひとり、クリス・エイモン(右)は奇しくも前年のルマンには仇敵であるフォードで出場して優勝を飾り、今度はフェラーリでデイトナの覇者に。
そしてもう一人の勝利者、イタリアの人気ドライバーだったロレンツィオ・バンディー二は この栄冠の三ヶ月後、モナコ・グランプリのレース中にフェラーリのマシンでクラッシュ、炎に包まれてその生涯を閉じることになるのでした・・・
栄冠、屈辱、復讐、運命、そして悲劇、
ジョエフ製の小さなモデルカーに詰まっている、様々な物語・・・
このP4が収められた黒い箱は、
もしかすると半世紀前のレースシーンを甦らせることのできる、
玉手箱なのかもしれませんねェ。。。
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