なんてったってこの辺り・・・初めて足を踏み入れたんですもん!
オオジマ・・・と濁音が入るこの街の名前は、江戸時代にはここら一帯が大きな島だったことに由来するらしいのですが、現在では東京湾からはだいぶ離れた場所となっています。
中小の工場や住宅が建ち並ぶ街の中心を東西に新大橋通りが走り、その地下には都営新宿線が走るこの大島には、ところどころに昔懐かしい昭和の時代の面影が・・・
小学校の時に友達のトコに遊びにいくと、たいがいがこういう家だったよなァ~
立派な唐破風を持つ「春の湯」の前で開くのを待つ地元の御老人たち・・・
古き良き昭和の時代の生活が、ここにはそのまま残っています。
傾いた初冬の陽射しが・・・ノスタルジーを掻き立てますねェ~
僕がその昔住んでた目黒の鷹番や碑文谷にも、確実に存在していた光景・・・
そして・・・銭湯を後にして神社のまわりをウロついていると、ふいに商店街に出くわしましたョ!
これまた懐かしい雰囲気・・・
クルマ一台通れるかどうかの幅しかない道の両側にはぎっしりと店が立ち並び、結構な賑わいをみせています。
店先ではお惣菜を売ってる店も多く、今夜のおかずにするために自転車を漕いできた主婦たちが一生懸命にそれらを物色・・・
で、商店街を新大橋通りに戻って歩いていくと、
なんだか素敵な大衆居酒屋がありました。
さすがにこの時間じゃまだ開かないんだろうなァ~
しかし・・・ソソられます!
開店は17時だって。
しょうがない、それまでまたブラブラしてますか・・・
刻々と日が暮れて・・・
魚屋さんはもう店仕舞いの準備かな?
でも駄菓子屋の店先には子どもたちがワンサカ・・・
先に進んでいくと、だんだん人影もなくなってなんだか寂しい風景になってきました。
でもこういった眺め・・・既視感があるんですよねェ~
ところでこの大島には古くからの大きな団地がたくさんあるのですが、昔ながらのその建物には、僕が碑文谷に住んでいた1960年代後半、ちょうど高度経済成長期の頃の面影が色濃く残っていました。
この簡素なコンクリのエントランス・・・きっと当時のまんまだョ!
だいぶ歩いて疲れてきたので、再び新大橋通りに戻って大島六丁目団地で休憩!?
1970年に建てられた、3000戸弱の戸数のあるマンモス団地です。
一階部分にはショッピングセンターを誂えた、その当時としてはモダンな団地だったんだろうなァ~
なんとなく漂ってくる、冬の夕暮れの匂い・・・
そして僕は、
中庭の黄色く色づいたイチョウの周囲で遊ぶ親子連れを眺めながら、
ショッピングセンターにあった喫茶店で一服。
まだ少し時間がありそうですしネ・・・
さっきの大衆居酒屋がオープンするまでには。。。
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