さて、昨日鎌倉で英勝寺を訪れたあとは、駅に戻る途中で住宅街の方へ・・・
すると突然立派な石積みの門が現れ、その向こう側には想像を絶する広大な芝生、丘の上には瀟洒な洋館の姿が!
色鮮やかな緑を横目に、なだらかなスロープを描く石畳の小径を登っていくと・・・
黒っぽく塗られた大きな洋館の前にたどり着きました。
鎌倉3大洋館の一つとされるこの建物は古我邸・・・
鎌倉の地に別荘文化が花開いた大正5年(1916)に三菱財閥の有力者であった荘清次郎の別荘として建てられたものなのですが、設計を担当したのはジョサイヤ・コンドルの愛弟子であった櫻井小太郎。
関東大震災で壊滅した東京を逃れた当時の濱口雄幸首相や後の近衛文麿もこの別荘に一時避難し、
戦後はGHQに接収されて将校クラブとしても使われていたそうです。
そういった逸話がリアルに感じられるくらいに、
古我邸までのアプローチはなんだか浮世離れした気分にさせてくれるんですよねェ~
その後昭和12年(1937)に日本土地建物の経営者だった古我貞周氏が1500坪ともいわれる土地とともにこの洋館を買い上げ今に至ります。
それにしても周囲の自然に溶け込んだ、実に優雅な佇まい・・・
ところで、この館を買い取った古我貞周氏の息子さんの古我信生氏は『バロン・古我』と呼ばれた日本のレース黎明期を代表するカーレーサーなんだそうです。
プリンス自動車の契約ドライバーとして1961,1962年にベルギーのリエージュ~ソフィアラリーに参加したり、ホンダF1プロジェクトに参加した縁で1963年からはホンダS600で欧州でのラリーやレースに挑み、1965年のニュルブルクリンクでの耐久レースではクラス優勝を果たします。
また、1963年に鈴鹿で行われた第一回日本グランプリでは審判長を務めるなど、日本のモータースポーツの礎をつくった伝説の人物でした。
そんな、日本のレースシーンのパイオニア的な存在だった人物の生家は、改修工事を経て現在ではフレンチレストランへと生まれ変わったのです。
僕が訪れたときは13時を過ぎていたためレストランは利用できなかったのですが(予約が難しい店なので元々無理だったのでしょうが・・・)、建物の裏側の池に面した場所にあるカフェでしばし寛ぐことに・・・
丘の上にこんな素敵な水辺の光景があるなんて・・・
まるで印象派の画家がモチーフに選びそうな庭園!
しばし絶句するくらいの素晴らしさなんですが、
それを眺めながらシャンパンを・・・
まだモーターレーシングが貴族のモノだった香りを残していた1960年代初頭という時代に活躍した、
稀代のエンスージアストにしばし思いを巡らせ・・・
ちなみに池の上の木の枝にある白いモノは、モリアオガエルの卵なんですョ!
さあ、すっかりいい気分になったので、行動を再開すべく支払いを済ませようと建物の中へ・・・
内部は外観と違わず無駄な装飾を配した外連味のない王道感溢れる雰囲気・・・
その入口近くには、
在りし日の古我信夫氏が駆った白いホンダS600のモデルカーが、
さり気なく飾られていたのでした。。。
さり気なく飾られていたのでした。。。
由緒正しい邸宅ですね。
昔のレーサーって御曹司の方が多いですよね。
今のF1でもランス・ストロールはカナダの富豪の息子さんです。
ofc 様
この場所…間違いなくコンクールデレガンスにピッタリだと思います!
この芝生に名車を並べたらどんなに素敵なんだろう〜〜
って思っちゃいましたョ。。。
緑の中の素敵な別荘・・どこか外国にでも行ったような優雅さがありますね。
昼シャンが似合います。
ゴシップも無いがあまり面白い逸話もなくなりましたね。なんかつまらない。
夢似 様
鎌倉はかつては別荘地として人気があったので、近代建築も多かったんですが、個人の家などはだいぶ建て替えられてしまったようです。古都に残る洋館…僕にとっては有名な寺院よりも興味があるんですよね〜〜
そういえば、式場さんも生沢さんも浮谷さんも滝さんも・・・
1960年代のモータースポーツは、やはり基本となる財力がなければ始まらなかったって感じですネ・・・
相対的なクルマの価格、特にレースをするようなスポーツカーの値段は現在よりも遥かに高かったでしょうから。
この古我邸の庭で、昔はホンダSのチューニングなんかもしていたのでしょうか。。。?