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さて、昨日はじめて乗った御殿場線は、みなさんご存知のようにかつては東海道本線として複線化も行われた日本有数の幹線鉄道でした。
昭和9年の丹那トンネル開通に伴い、東海道本線は熱海経由になってしまいましたが、今でもそこかしこに当時の名残を散見することが出来たりします。
例えば複線時代を思わせるトンネルや橋脚、線路を撤去したためかダダっ広い駅構内、通常2~3両の列車に対して無駄に長いホーム等など・・・・

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中でもこの山北駅は、東京から大阪へ向かう下り列車が御殿場に向けて急坂を登るための補助機関車を連結するために機関区が設けられ、山間の小さな集落は一躍鉄道の街として栄えることになったのです。
列車が停まる度に機関車には水や石炭を、乗客には駅弁や土産物を販売し、補機として多くの蒸気機関車が待機するというヒト、鉄道の集積地と化していました。

しかし前述の通り、丹那トンネル開通によって突然その栄華にも終止符が打たれ、御殿場線と名を変え、列車本数も激減したいちローカル線の地方駅として今日に至ることに・・・
山北機関区も9年後の昭和18年には廃止されてしまったそうです。

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大正時代の山北機関区

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クラシックな駅舎を外に出てみると、遠い昔の戦争前の賑いを偲ばせるような広い駅前広場、そしてまるでシンメトリーのように威容を誇る近代建築・・・
きっとこの広場を、鉄道関係者や客が埋めつくし、車も走り回っていたんでしょうねェ~

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ところで駅前広場からその奥や脇道に入ると、やはり当時の面影を伝えるような料亭建築や立派な蔵を持つ旧家、看板建築などが点在しているのもこの街の面白いところでした。街が賑いをみせていた頃の贅沢な遺産とでもいえるでしょうか・・・
それに加えて昭和な香りを放つ建築物の数々・・・

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交通量の少ない国道沿いには茅葺き民家も見つけることができましたョ。

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インフラの劇的な変化で、
ある日突然表舞台から消えた鉄道の街、山北・・・
今の表現だと、当時の街並みが ” 瞬間冷凍 ” され、変わらぬままに21世紀になってしまったということでしょうか・・・
戦前の街づくりはさもありなんと思わせる
この広場を見下ろしながら
ついそんなコトを思ってしまったのでした。。。