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僕の会社の同僚で、このブログにも度々変態ネタを提供してくれるボルボ・アマゾンフリークのN氏が、またまた最近のコレクションを見せてくれました。
それは東横線沿線で育った僕にとってはとても興味深い、東横線や目黒線の昔の沿線案内です。
東京横浜電鉄と目黒蒲田電鉄・・・
子供の頃は東横線と目蒲線って呼んでましたが、昔はこんな名称だったんですネ!

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ところで、この派手にカラー印刷された沿線案内を眺めていると、今とは違った色んな光景が目に浮かんできます。
東京横浜電鉄・・・現在の東横線の方は渋谷を出ると最初の駅が並木橋だったり、今の学芸大学駅は碑文谷、都立大学は柿木坂・・・駅の呼び名が違っていたんですねェ~
ちょっとビックリです。おまけに目黒競馬場が存在してるじゃありませんか!
この施設は1933年(昭和8年)に閉鎖されているのですが、調べてみると碑文谷駅も1936年(昭和11年)には青山師範駅に改称されているようなので、このパンフレットはどうも戦前の昭和初期の頃のモノみたいですネ。
なにしろ五反田からの池上線もまだないもんなァ・・・って他社路線は完全無視だったりして・・・

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続いて自由が丘を過ぎてみると、今の多摩川駅は丸子多摩川。かつて在ったテーマパーク、多摩川園も大規模に表現。多摩川沿いには納涼水泳場なんてのもあったりします。大井町線も二子玉川が終点だ!

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で、もっと先へ行ってみると鶴見川に沿って広大な桃園だって! 大倉山は太尾、現在の綱島は綱島温泉という駅名でしかも相当大きな扱いです。そして一大リゾート地を思わせるラヂウム温泉の文字・・・
そういえば最盛期は80軒もの宿泊施設があった綱島温泉の面影を伝える最後の温泉施設である「東京園」が今月いっぱいで閉鎖という記事が新聞に掲載されていたばかりなのですが、なんだか時の流れを感じてしまいますネ・・・


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ところでN氏の変態ぶりは、関連するモノにまでやみくもに(?)手を伸ばしてしまうところなのですが、コレ・・・なんで収集する気になったんだろう・・・ってのがこの三井信託が発行した目黒驛前分譲地案内!

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今の目黒駅前の様子とほぼ一緒の区画、けっこう面白かったりします。
ちょうどNo.103あたりはとんかつの老舗、「とんき」でしょうか。
No.1の大きな三角形の区画は現在は三井不動産が造った立派なタワーマンションが建っているはずなのですが、昔っからこのあたりは三井財閥の持ち物だったんですねェ~
裏表紙に記された三井信託不動産部の所在地が、
かつては日比谷にあった三信ビルってのがまたナカせます。
東京市麹町區・・・って住所なので、こちらもきっと戦前のモノですナ・・・

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かんたんではありますが、昭和初期の東横線、目黒線の旅、いかがでした?
戦争に突入する前の暗い時代のはずなんだけど、競馬場、川遊び、一大レジャー施設に温泉地、おまけに果物の産地でも・・・なんだかとっても楽しそうに見えてしまうのは気のせいでしょうか。。。