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E-TYPEを迎え入れるためにガレージを片付けていたら、ちょうど今から40年前の1976年に行われたジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスの記録冊子が出てきました。DE ROSAを操るカンピオニッシモ、モルテニチームのエディ・メルクス(Eddy Merckx)とビアンキチームのフェリーチェ・ジモンディ(Felice Gimondi)が世界自転車ロードレース界の覇権を争っていた、それはまさに黄金時代の終点とも言うべき年・・・・

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1976年のジロ・デ・イタリア(Giro d'Italia)は、5月21日~6月12日にかけてイタリア全土を舞台に繰り広げられました。

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モルテニチームのジャージでDE ROSAに跨がり力走するメルクス(↑)・・・
しかし彼は総合8位に終わり、これが最後のジロ出場となりました。
そして総合優勝はライバル、ビアンキのジモンディ(↓)!


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さて、ちょうど40年前の今頃、1976年6月24日から7月22日まで行われたツール・ド・フランス(Le Tour de France)は、モルテニチーム自体が活動停止したためにメルクスも参加することが出来ませんでした。同様にジモンディも欠場・・・
優勝は、メルクスと同郷のベルギー人、山登りのスペシャリストであったルシアン・ヴァン・インプ。


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1960年代後半からプロロードレースの世界に君臨してきたメルクスも、結局この年に解散したモルテニチームからフィアットチームに移ったものの、以降はメジャータイトルには手が届かず、対するジモンディも同様・・・
力の衰えは、誰の目にも明らかでした。

メルクスについては、前年のツールで観客から腹部を激しく殴られるというアクシデントがありながら体に鞭打って力走し、2位とはなりましたが、その無理がたたって選手生命を縮めたとも言われています。

絶対的な存在の落日と、そのライバルの終焉・・・

いずれにせよ今から40年前のジロ、そしてツールは、前者はジモンディがイタリアのエースとしての意地を見せて最後の花を咲かせたものの、ツールに至ってはメルクスともどもその姿を消すという、二人の長いライバル関係に終止符が打たれたロードレースの歴史の分岐点だったのかもしれません。

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ガレージの整理を忘れて、この古い2冊の本を眺めながら、ふとそんなコトを考えていたら、片隅に埃を被っていたモルテニカラーのDE ROSAが、
「たまには動かしてよ~」
・・・と言っているように思えました。
そういえば2年前にサッカーで左手を骨折して以来、放置しちゃってたもんなァ~

今度の週末は、ちょうど40年前にプロ・ロードレース界から姿を消した、この偉大なオレンジカラーのDE ROSAの在りし日の活躍を偲んで、

鶴見川にでも繰り出しましょうかねェ。。。。