
その目的は、現在は第三セクター化されて明知鉄道となっている 旧国鉄明知線に乗るため・・・それも、45年ぶりにです!

その昔、明知線にはC12が引っ張る貨物列車が昭和48年の10月まで走っていました。1日にたった一往復! 効率としてはとても悪いのですが、僕はその長閑な田園風景を走る小さな蒸気機関車に心魅かれていたので、昭和47年、今から45年前の春と夏に撮影に訪れたのです。
当時はまだ中学生だったので、小遣いを貯め、部活が休みになるのを待って・・・
ちなみに旧い画像はこのブログでは既出のものですが、その当時にキヤノンFtbで僕が写したもの。
下は、45年前の恵那駅で出発を待つC12の姿です。


久々に乗った明知行きの気動車は、あの当時と同じく、恵那駅を出発するといきなりの上り坂に唸り声を上げながら力強く進みます。
そういえばこの明知線(以降明知鉄道⇒明知線に統一)、25パーミル(千メートル進むと25メートル登る)や33パーミルの急勾配が連続する、アップダウンの厳しい路線でもあるんですよねェ~
そして景色は・・・東美濃の山々を背景に、まるで45年前と寸分違わぬ田園風景が続きます・・・



上の東野駅を出発した直後のC12を写したのは、もしかすると下の画像の丘の中腹あたりでしょうか・・・
中学生の頃の自分が撮影のために足を踏み入れた場所を見つけるのも、45年ぶりの明知線の車窓からの楽しみだったりします・・・







そして列車は阿木駅に到着。
この駅と次の飯羽間駅との間で、僕は合計3本のC12を撮影しているので、明知線の中では最も利用した駅なんです。
しかし、あれから半世紀近い年月が流れ・・・嗚呼、やっぱ相当寂れちゃってるよナ・・・


当時写した上りホーム(↑)も、現在ではご覧の通り(↓)遺跡と化して・・・


それにしても・・・阿木ー飯羽間の車窓からの眺めは、今でも本当に素晴らしい・・・!




ってな調子で、楽しんで・・・と云うかいい年してコーフンしているうちに、明知線沿線で最大の街である岩村に到着です。



二本のホームも健在で、駅舎も昔ながらの姿を留め、街もそれなりに賑わっている岩村駅は、もしかすると明知線の駅では最も変わっていないのかも知れません。

で、嬉しいことに・・・ホームにはこんな装置までが保存されていましたョ!
いやァ~久々に見たワ・・・コレ・・・



そして列車は岩村駅を出発・・・


程なくして終点の明知駅に到着です。
45年前とさほど変わらぬ線路配置・・・
駅舎も基本的には昔のままのように思えます。
でもやはり、なにか空気が違うかナ?
C12が煙をあげていた頃と、今では・・・まあ、それは当たり前なんですが、なんとなく原因不明の違和感が、僕を襲います・・・
僅か25キロ、45年ぶりの明知線の旅・・・
僅か25キロ、45年ぶりの明知線の旅・・・
少なくとも東野ー飯羽間の区間なんて、流石に茅葺屋根の民家は無くなっていたけど、それ以外はほとんど当時と変わらない素晴らしい光景だったし、昔はなかった駅が2,3出来ていたけど関係ないし、なんだろう・・・この感覚は・・・?




・・・と思って写真を見比べてみると・・・
わかった~!
なんと、終点の明知駅は、いつのまにか明智駅となっていたのでした。。。。
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