
さて、料亭「壽屋」での食事のあとは、金沢での残された時間を有効に使うべくタクシーに乗って にし茶屋街へ。
文政3年(1820)に ひがし茶屋街とともに誕生した約二百年の歴史を持つ花街なのですが、こちらの方は人通りも少なく閑散としています。
規模としても両側に出格子の茶屋建築が並んでいるのは百メートルくらいでしょうかねェ~
しかし、この西検番事務所は存在感ありました!

大正11年竣工の登録有形文化財・・・
芸妓たちの稽古場兼事務所として建設されたのですが、玄関ポーチも可愛い素敵な建物ですよねェ~
その前に作られたコンクリートで出来た橋みたいな物は…?何か意味があるのかなぁ~
その前に作られたコンクリートで出来た橋みたいな物は…?何か意味があるのかなぁ~





誰もいない にし茶屋街を通り過ぎてゆく地元の方の自転車・・・
こういったノンビリした光景も、またいいモノです。

で、再び犀川を渡って中心部へ・・・

旧い町家建築を楽しみながら歩いていると、

ひときわ立派な商家がありました。
それは、福久屋石黒傅六商店。
嘉永5年(1852)に建てられたとされています。

今でも現役の薬局なんですが、訪れた日は残念ながら休み。
でも金沢の魅力は、このような江戸時代からの店舗建築で営業している商店がいくつもあることなんですよねェ~






ということで、金沢・加賀百万石の旅の最後に訪れようと思っていたのも、
同じように江戸期の建物で商いを続けている老舗有名店、「俵屋」でした。




創業天保元年、百八十年の歴史を持つ金沢最古の飴屋なのですが、この「俵屋」の名を全国に知らしめたのが国鉄が大阪万博後の旅行客確保を目的として1970年10月にスタートさせたDISCOVER JAPANキャンペーン。






当時の僕もそれに影響されて、後年、短い滞在時間でしたが街並みをスケッチするために金沢の武家屋敷を訪れることとなりました。


江戸時代の創業で、江戸期の建物のままに飴を売る金沢「俵屋」・・・
でもそんなわけで不思議なことにこの場所は、僕の中では国鉄のポスターにココロ動かされた中学生の頃の昔懐かしい昭和な光景に、どうしても思えてしまうんですよねェ・・・
そういえば万博も再び大阪にやってくるんだなァ~

DISCOVER JAPAN キャンペーンのキャッチフレーズは『美しい日本と私』・・・
今回の金沢&和倉温泉では十二分に美しい日本を堪能できた気もします。
そしてこれからの第二の人生も、いろんなDISCOVERを体験しなくっちゃネ!?
これにて百万ヒット記念(?)、加賀百万石の旅の記事もオシマイ。長期間ご覧いただきありがとうございました。。。
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